本を読む
最近、久しぶりに本を読んでいます。
何回か読んでいる梨木香歩さん『春になったら苺を摘みに』、原田マハさん『モダン』
積読になっていた梨木香歩さん『やがて満ちてくる光の』
そして図書館で借りてきた朝吹真理子さん『抽斗のなかの海』
ここ数年、本を読んでいても映画を見ていても完全に無になれることがあまりなくて、すぐに邪念が入ってきてしまうんですよね。
でも昨日の夜『抽斗のなかの海』を読んでいるとき、ほんの数秒だったのだけど「無」になれた感覚がありました。
「無」といっても何も感じないという事ではなく、本の中に入り込んで「自分は誰なのか、一体どこにいるのか、何を考えていたのか」ということがすべてなくなる感覚。
本ってすごいなぁと思います。
『抽斗のなかの海』の書き出しの一文
「なにかを書くときは、果てしない海にむかって、壜を投げるような気持ちでいる。
それがいつどんなひとに届くかわからないけれど書いている。」
(朝吹真理子/中央公論新社/2019年)
こうしてブログにつらつらと文章を書いたり、誰かに手紙を書くのが心地よいのもこういうことかもしれない。
受け取ってもらえないかもしれないけれど、受け取ってもらえたら嬉しいし、「一対一」という関係で向き合える気がする。
趣味も、自分とその対象と「一対一」で向き合っているときが一番楽しいのかも。
(もちろん私の趣味の場合は、だけれど)
そこに優劣が発生したり、何かを求めて競い合っていることを目にするととたんに疲れてしまう。
なんてことを、眠れない夜に考えて余計に眠れなくなったのでした。
(眠れなかったのは、昼食後に本を読んで寝落ちしたからなのですが)
0コメント